<3日目・1992年7月16日・木曜日>
仙台→(仙石線快速うみねこ)→松島海岸(見学)→(快速うみねこ)→仙台→(普通)→福島→(普通)→山形→(快速仙山○号)→仙台→(特急スーパーひたち32号)→平<いわきセントラルホテル泊>
南東北旅3日目。この日も外は雨。ホント、この旅では一度も太陽の光を見ることはできなかった。勾当台公園のホテルをチェックアウト。地下鉄で仙台駅まで行く予定だったが、バスでも行けるとわかったので近くの停留所からバスで仙台駅へ。
今日の予定は、松島へ行くこと。そしてまた仙台へ戻って、周遊券の特性を生かすべくとにかく乗って元をとらなくてはと思い、東北本線を仙台→福島、奥羽本線を福島→米沢、常磐線を仙台→平、平で3月に泊まった同じビジホにチェックインするという行程だ。
8時頃の仙石線、快速うみねこ号に乗車。この時代はまだまだ国鉄”E電”の愛称で知られ、全国の通勤電車を代表する存在として走りまわっていた103系というオーソドックスな通勤型電車が仙石線の快速、普通電車ともども使用されていた。
しかし、風光明媚な松島海岸を走る仙石線にロングシートの首都圏を走っている103系電車というのも何かミスマッチだと思っていた。やはり海の見える路線を行く電車はオールロングシートの通勤電車は似合わない。それこそ”場違い”な気がしてならない。
やはりこいいう路線には進行方向に沿って座れるクロスシート車が適任ではないか。直流区間なので、運用面で致し方ない面はあるが、地元でいつも通勤利用している乗客はいいがたまにしか乗れない遠方からの旅行客の立場からするとやはりクロスシートであったほうが旅気分も高揚するっていうものだ。
快速うみねこはおおよそ35分ほどで松島海岸へ着いた。ここで言わずと知れた”日本三景”のひとつである松島を2時間ほど散策。
”松島”と一言で言っても、実際は宮城県内の松島湾内外にある大小260余りの諸島、さらに諸島と松島湾周囲を囲む松島丘陵を含めた修景地区の総称のことである。伊達政宗が再興した瑞巌寺、伊達家の迎賓館であり月見のための施設である観爛亭、寺院である五大堂、円通院などを見てまわり時間をつぶしていた。
10時半すぎぐらいの仙石線快速うみねこでまた仙台駅へと戻る。しかし、快速うみねこという愛称が付けられているにもかかわらず使用車両は各駅停車と同じ103系電車というのは何のためにわざわざ愛称をつけているのかわからかい。正直、遠方からの旅人である立場からすると実にがっかりさせられる。
車窓に東北新幹線の高架が迫ってきて、200系新幹線の姿が見えてきた。当時は東北新幹線といえば白と緑の200系新幹線しかなかった時代。あれから四半世紀の時を経て、現代では世界最速の320㎞╱hで高速走行するE5系が主力となって活躍する。1992年当時ではまったく未来を予想もできなかった。これは何も新幹線に限ったことではなくて、人生も同じだ。まさに光陰矢の如しである。
昼前に仙台に戻り、ここから福島まで東北本線の普通列車に乗車する。車両は455系電車だったか。車窓は平坦な仙台平野を行く。ほぼ、東北新幹線と平行する。仙台を出てすぐ名取で常磐線と別れてからは一気に山岳地域を走る。新幹線駅の白石蔵王付近、こちら在来線は白石駅である。このあたりは昨日登った蔵王山が車窓右手に見えてくる。しかし、今日もあいにくの天気、視界はあまりきかない。1時間ほどで福島に着いた。はじめての福島駅。市内観光でもと思ったが、今日は観光は松島だけであとは周遊券の特性を生かした”乗り鉄”に徹して乗車距離を稼ぐので、数分連絡で奥羽線の山形行きの電車に乗り継ぐ。こちらは少し新しいステンレス車である719系電車だあった。昨日の奥羽線と同じ車両だ。
奥羽本線、昨日は米沢~山形まで乗車した。しかし、福島~米沢間を乗っていない。だからここはこの区間を埋める必要があった。この福島~米沢間はこの7月1日に新規開業した日本初の新在直通ミニ新幹線、山形新幹線の工事のため約2年前から板谷、峠の両駅のスイッチバックが廃止となった。このあたりは奥羽山脈を鉄路が貫く板谷峠が立ちはだかり急こう配区間でもある。
ここに新幹線を通すため、線路を広軌にする必要があり2年かけて工事が施行されていた。したがってこの区間を通る、ちょうど新幹線が開通するこのちょうど2週間前の6月末まで運行されていた1日1往復の上野~秋田間を結ぶロングランエル特急つばさが仙台始発に変更、さらにこの改正から山形始発に変更さらに愛称も「こまくさ」に変更されたり、夜行寝台特急「あけばの」も陸羽東線経由(この区間はDE10形ディーゼル機関車がけん引)に変更されたり大幅なダイヤ変更が実施されていた。
昨日と変わらぬ奥羽山脈を横目に見ながらの車窓を堪能し、山形に着いた。今日はさすがに蔵王にはいかない。すぐに2日連続の仙山線快速仙山号に乗車し、昨日は北仙台で下車したが今日は終点仙台まで行く。車両は昨日と同じ国鉄急行型の455系電車だった。当時はまだまだデッキ付き2ドアの急行型車両が日本中に活躍したいたんだなあとしみじみ思う。今では通勤型でさえ、国鉄型はほとんど淘汰されているどころかこのJR初期、平成初期の時代にデビューした車両たちも引退の時期がきているのだから。
今日は平まで移動して宿泊する予定だ。乗車予定の「特急スーパーひたち32号 上野行き」発車時刻は18時過ぎ。あと1時間半ほどあるので仙台駅構内の待合室で携帯している旧式のラジオ(当時はスマホも何もないアナログ時代だった)で開催中の大相撲名古屋場所の取組を聴いて時間をつぶしていた。
20分ほど前になったので、ホームに降りると「スーパーひたち32号 上野行き」はすでに入線していた。上野~仙台まで遠しで運転する便は当時でも1日3往復だったかな。つい5年ほど前までしぶとくこの「仙台ひたち」は残存していた。新車投入を機にいわきで系統分断が決まり、いわき~仙台間に新たな愛称の特急を設定しようとした矢先に東日本大震災が発生してしまった。
ほんとに、この時代に震災で被害を被った常磐線の北部を乗っていて今にして良かったと思う。「スーパーひたち32号 上野行き」はいわき(当時はまだ平)から基本編成8両を接続するので、平まで身軽な付属編成4両で走る。18時過ぎ、仙台駅のホームを離れた。鉄道唱歌のオルゴールが鳴る。これは実に気分がいい。いかにも鉄道で旅に出ている気分。これだから特急に乗れるワイド周遊券の旅はいい。18きっぷの普通列車ばかりの旅も安上がりでいいが鉄道唱歌は発車時に聞けない。特急に乗ると鉄道唱歌などJR各社独特のオリジナルのオルゴール、車掌さんによる独特の案内放送、さらには現代では減ってしまったが車内販売・・・これらは実に旅気分、非日常気分を味合わせてくれる。胸が高鳴り、非常に良い意味での緊張感があっていい。
時は7月中旬、30分ほど走ると日が暮れてきた。あたりはこの20年後に震災被害で原発の放射能漏れで大変なことになる地域。まさかこの平成初期の時代、20年後こんな悲惨な目にこの地域が合うとは誰も予想だにしていなかっただろう。
「スーパーひたち32号」の651系電車は当時はまだ新車だった。乗ることに憧れた鉄道ファンも多かっただろう。国鉄時代の特急車両からも思いもつかないアニメーションに出てくる戦闘機を思わせる遊び心のある未来を予感させる奇抜なスタイル。さらにシルバーメタリックの特異なボディ。JR発足して間もないこの時代、こうした新車の乗ることにテンションあがった。
軽快な走りだが外の景色は見えない。2時間ほど走り、平に着いた。ここで前寄りに基本編成を連結。その作業を横目に見やりながら、このつい4カ月前に泊まった同じ「いわきセントラルホテル」にチェックインしたのだった。
3日目終わり。