<行程>2日目・・・3月29日(日)
能代7:31→(3527D)→11:39川部11:45→(649D)→12:29青森13:19→(337D)→14:50三厩15:36→(338D)→16:16蟹田16:25→(347M)→17:13青森【観光物産館アスパム入館、展望台→ベイエリア散策】→18:35頃<青森センターホテル泊>
宿では眠剤を飲んでもあまり寝れなかった。なのでもう一錠飲む。なんとか寝れたが早く目覚めた。しかしもう睡眠不足は長いこと続いているので慣れっこだ。でもやはり旅先では寝れたほうがいいに決まってる。翌日の行程に影響するからだ。
7時前にタウンホテルミナミをチェックアウト。フロントの方は僕と同年代から年上ぐらいのベテラン中高年男性二人。やはり客対応はベテランそのもので心地よく宿を後にできた。
徒歩で能代駅まで5分ほど。北国の朝。3月下旬とはいえやはり空気が冷たい。
さあ、今日は待ちに待った念願の五能線初乗車の日である。今までまったく縁のなかったこの超有名絶景ローカル線にようやく乗れる日がやってきた。僕は心地よい緊張感に身体じゅうが包まれているような感覚だった。乗車するのは五能線全線を各駅に停車していく7時31分発弘前行きである。奥羽本線に乗り継ぐために終点弘前までは乗らず接続駅である川部で下車する。
早朝の能代駅。誰一人いない、なぜか物寂し気な駅前。これからいよいよ初めての五能線に乗るんだと思うとソワソワしてくる。八森から鰺ヶ沢までほぼ永続的に日本海を眺めながら走っていく五能線、これまで写真やテレビでは何度も見た事あるけどどれだけ迫力があるんだろう?と期待感一杯だった。
7時03分発の能代行きは鰺ヶ沢発の長距離列車。この列車が能代で乗車する2527D弘前行きとなって折り返してくる。五能線引退まで残り少ない3両編成の古びた国鉄型のキハ40形ディー
ゼルカー。なんと今日は首都圏色と呼ばれるタラコ色が2両で中間に五能線職のキハ48をサンドイッチしている編成だった。やった!タラコ色のキハ40に乗れる!となかば心中な穏やかでなかった。
それにしてもいくらコロナ騒動で旅も自粛ムードとはいえ、何人かは必ずいると思われた鉄道マニア、すなわち”同業者”の姿は見えず駅の待合室には僕たった一人だ。これから4時間を超える五能線乗車。やはりトイレは済ましておこうと駅舎を出た。すると一人に帽子に眼鏡姿、さらにボストンバッグとリュック2つ、一眼レフを首に下げた中高年男が現われ、思わず心の中で「やっぱり来たか・・・」と苦笑い。乗車後この男はやはり濃~い鉄オタだと判明するのだった。
発車7分ほど前になり、駅員が案内放送で「7時31分発弘前行き普通列車にご乗車の方、改札を始めま~す」と。さあ、ついに初めての五能線の旅が始まる。今回の旅の最たる目的は五能線の初乗りと言っても過言ではない。改札で18きっぷに2回目の日付印を入れてもらう。例の中年オタも僕の後ろに続いた。なにやら落ち着かない様子だ。
能代駅ホームにはバスケットボールのゴールや国内を代表するバスケ強豪校である能代工業高校の過去の栄光を表彰したものが飾られている。
2527D弘前行きが入線。やはり先ほどのタラコ色3両編成が能代から折り返してきた。なお、3両目は途中、深浦から鰺ヶ沢までは回送扱いとなり乗車できないことになっている。なぜかは知らないがこれも事前にネットの情報で知っていた。なかなか珍しい列車ではないか。中高年オタと一緒に乗り込む。オタも僕もこれから長時間お世話になる列車、先頭車タラコ色のキハ40
1006を写真におさめた。後から調べたらこのキハ40 1006は元烏山線で活躍した車両だと判明。なので1両きりのキハ40でも短距離輸送の烏山線運用だったのでトイレなしなわけだ。
車内には一人高校生ぐらいの若い同業者が一人先客としているだけだった。一眼レフ持参、若いのにすげえなあ~と思った。僕などいまだにコンデジしか持ったことないのに。
こうして先頭車キハ40 1006は僕と中高年オタ、若いオタの3人しかいない状態で能代を発車したのだった。もしかして人気路線なので18シーズンのこの時期、もっと同業者が多数乗っていて日本海の車窓を堪能できる左側ボックス席がゲットできない事も考えられたが3人しか居なくあっけにとられた。なので余裕で左側ボックスに陣取った。
2527Dは3両編成で五能線の全区間を踏破する。なので当然車掌お乗務する。この日はまだ20代前半とおぼしき若くて可愛らしい女性車掌さんだった。オタ3人しかいない車内、異様な雰囲気だろう。ただ、そんな状況には乗務員はもう慣れているだろう。個人的には怪しい風貌のおっさんオタの挙動不審な行動をこの先下車する川部まですっと見せられて不快な気分になったので
こういう若くて可愛い女性車掌さんが乗っていると心も少しは和む。
能代を出る。今日は日曜の早朝。いかにもなのんびりムードで列車は歩を進める.30分ほど走ると八森に着く。さあ。これから車窓左手に日本海が広がる。
深浦に到着するもまでに撮った日本海の車窓。期待どおり見ていてまったく飽きなかった。日常を忘れさせてくれる。やはり汽車旅は現実逃避に最適な趣味だ。
ちょうど中間地点の駅で沿線人口も多めと思われる深浦には9時16分到着。能代を出て1時間45分ほど走った。ここで上りの快速列車行き違いのため13分の停車。能代から一緒のオッサン鉄オタはこの道中、駅に停まるごとに車内をウロウロ。この列車は窓が開くので、窓を開けて景色を一眼、コンデジ、スマホと3台を駆使して必死に撮影していた。外の景色だけでなく車内も必死に撮影していた。まさに挙動不審を地で行くディープな鉄オタだった。僕はせっかくの車窓に酔いしれたいのに、このオタのせいで気分がそがれてしまった。まさに自分の世界に入り込んでる様子であぶないな、と思った。同時に行動を見ていておかしくもあった。おそらく僕より年上だろう。50代と思しき風貌。なのに行動みてるとまるで幼稚園児のようで滑稽だ(笑)。
行き違いの上りの快速列車。リゾートしらかみを除くと一般列車では唯一の快速列車である。しかも主要駅にしか止まらず小駅は前部飛ばしてしまう。こちらは五能線色のキハ40×2だった。
そうして13分の停車時間はすぐに過ぎ、9時29分、2527D弘前行きは五能線後半戦の旅路へと発車したのだった。
深浦からは”千畳敷海岸”と呼ばれる五能線随一の見せ場を断崖に沿って、古びた国鉄型のキハ40形ディーゼルカーはエンジン音を唸らせながら残りあと1年ほどしかないだろう”最後の力走”を見せる。ここから鰺ヶ沢までは1時間、これまでの深浦までよりも険しい日本海沿いをゆく。特に北金ヶ沢までの千畳敷海岸は国内屈指の絶景だと感動。
千畳敷海岸に沿って列車はゆく。車窓左手はもうギリギリのところまで日本海の波が押し寄せており、車窓右手は永遠と続く断崖絶壁。ああ、僕は若い学生時分から鉄道旅を趣味としてちょうど30年になるけど、これまで海の見える絶景路線は数多く乗ったし、感動もしてきた。しかし今回ほど「こんな場所。列車が走るのか~」となかば感嘆の声をあげたくなったのは初めての経験だと思う。いや~これだから汽車旅はいい! この区間は世界遺産に認定されても全然おかしくないほどの素晴らしい場所だと思った。
深浦から千畳敷海岸をゆく。五能線の車窓風景ではこれまでTVや雑誌などメディアで何度も目にした”奇形岩”が現れる。
35分ほど千畳敷海岸の絶景を思う存分に堪能し、北金ヶ沢に到着。ここでは上りの観光列車、秋田行き快速リゾートしらかみ2号と交換する。青池編成のハイブリッド車HB-E300系。オッサンオタも当然の如く写真撮影に精をだしていた。それにしてもあんな動き回ってたら車窓を楽しむ余裕がないよな。勿体ないなあと思った(笑)。リゾートしらかみ、繁忙期のシーズンはチケットとれないほど満席必須の列車だと思ったが、車内のお客さんが3割程度か。このあたりもコロナの影響が見て取れる。
リゾートしらかみを先に行かせて、我が2529D弘前行きも発車。なお深浦から列車番号が2527Dから2529Dへ変わった。五能線の普通列車で全線を通す列車はリゾートしらかみを除くと上りは当列車含めて2本、下りは深浦で交換した快速列車の1本のみであるが当列車とその快速列車は深浦で列車番号が変わる。
鰺ヶ沢には10時31分着。ここで能代から延々と3時間弱お付き合いしてきた日本海の車窓とはお別れである。鰺ヶ沢から津軽鉄道との乗り継ぎ駅である五所川原までは津軽平野の田園風景、五所川原から川部までは青森の特産物であるりんご果樹園の中を列車は行く。車窓風景も大きく3度、変貌を遂げる。見逃せないのは車窓右手にそびえ立つ雪をかぶった岩木山が姿をあらわすことである。鰺ヶ沢から川部まではどの角度からでも右手に岩木山が見れるので、シャッターチャンスを何度も覗っていた。
鰺ヶ沢からはこれまで閑散区間では回送扱いとなっていた最後尾車両も客扱いとなるので是非ご利用くださいという旨の女性車掌さんの車内放送があった。五所川原からは一気に地元の乗客が増えてきた。ほぼすべてのボックスに客が埋まる程度までになった。例の中年オタは相も変わらずお客さんが増えてきても、車内をウロウロ、窓の外の景色を必死に撮影していた。まったく彼は他者にどう思われようがいっさいお構いなしという感じだ。まさに”空気の読めない”系の鉄オタで4時間一緒だったからうざかった。
枯れ木ばかりが連綿と続くリンゴ果樹園を貫くように2529Dは奥羽本線との接続駅、川部へと走り終着弘前へとラストスパートをかける。そして定刻通り11時39分、川部に到着した。能代から4時間8分、僕にとって初めての五能線の旅が終わった。おそらく”最初で最後”の五能線乗車となるだろう。こんな素晴らしい絶景路線に乗らなおいまま一生終えたくない。鉄道旅を趣味とする者はやはり一度は五能線に乗るべきだと乗車を終えて改めて実感した。念願の五能線乗車が叶ってほんとうに嬉しかった。キハ40 1006、ありがとう。
例のオタも一緒に下車した。まさか自分と同じ旅行程なのか? 待ってくれ、それは勘弁してくれよ~と心の中の叫び(笑)。
さて、今日の次の乗りつぶし未乗線区は津軽線だ。北海道の行き帰りに寝台特急北斗星や急行はまなす、快速海峡などの在来線列車で中小国までは乗っている。しかし、そこから別れて三厩まで行く非電化区間のいわゆる”支線”はまだ未乗なのでここから三厩に向かう。実は乗り継ぐ青森行き649Dがそのまま三厩行き337Dに化ける運用なのは事前調べで確認済みであった。
6分連絡で弘前方面から青森行き649D入線。上記の理由から奥羽本線内のみの運用なのに電車の701系ではなく、キハ40系列2両のディーゼルカーでの運用である。地元客はなんとも思わないだろうけど鉄道好きにはこうしたレアな運用の列車に乗れると嬉しいものだ。
11時45分川部を発車。ノロノロと奥羽本線を青森へと向かう。2両しかないディーゼルカーはほぼボックスが埋まっていた。すぐ後ろのボックスの10代とおぼしき若い女の子2人はおしゃべりで多少うるさかった。それにしても若者世代は津軽弁はほとんど出ないというか、ほぼ標準語である。26年昔の東北旅行で盛岡から花輪線に乗ったとき年配客の津軽弁の解読不明だったことが心なしか懐かしく思えてきた。このあたりも四半世紀の時代の変遷なのか。
45分ほどで終点、青森に到着。また同じ列車に乗ることは前述の通りわかっていた。しかし、ちょうどお昼時、さすがに飲食店にはへ入れまい。弁当でも買って食おうと思った。
13時19分三厩行きの発車時刻までおおよそ50分ある。このぐらいがお昼時の休憩時間としてはちょうどいい。旅にはこうしたインターバルもやはり必要である。
駅舎から外へ出た。やはり昨日の秋田駅に着いた時同様、北国らしい肌寒さ、空気のひんやりとした冷たさを実感した。そういえば26年前はじめて青森に来た時のことを思い出した。当時あた東北ワイド周遊券利用で上野から夜行急行八甲田に乗り青森に来たらなんと吹雪だった。1994年1月6日の朝だった。とても青森駅の駅舎から外に出られず予定変更して弘前は向かったのだった。26年の歳月を経た。48歳の冴えない中年となった僕。今度は駅舎から外へ出れた(笑)。どうでもいいことだが、旅人はそういう感慨に浸るものだ。
駅構内で駅弁を購入し空いた椅子のスペースで細々と食う。いつもの旅と違って飲食店に入らずに隅に隠れるように食べるというのもなんだか妙な気がした。発車まで20分ほどになったので有人改札で再び18きっぷを係員に提示し入場。先ほど乗ってきたのと同じ列車に再度乗り込む。僕は基本、進行方向先頭車に乗る習性があるので今度は先ほど乗ってきたキハ48 1550の相方であるキハ40 532に乗り込む。車体横サボは「青森→三厩」に差し替えられていた。独特のディーゼルカエンジン音はホームにこだまする。
13時19分、649Dから三厩行き337Dへと姿を変えたキハ40+48の2両の古びた国鉄型ディーゼルカーは青森駅をゆっくりと出発した。川部から青森までついさっきまで乗ってきた列車なのに、今度はやけにゆっくりと走っていく。蟹田までわずか27キロほどしかないのに、50分ほどをかけて一駅一駅丁寧に停車していく。いつも通勤で利用している地元の名鉄瀬戸線よりもさらにゆっくりとまるで路面電車のようにのんびりと走る。走るというより歩くといったほうが正しい表現かもしれない。
それにしても、この津軽線。かつては北海道旅行の行き帰りに寝台特急北斗星、急行はまなす、大昔だと快速海峡などで何度も乗り、青函トンネルを行き来したものだった。新幹線が開業するつい3年前までは特急スーパー白鳥、白鳥といった青函連絡のエース的昼行特急列車も走っていた。新幹線開業からはや3年。各駅停車で同じ津軽線を乗るとまさに”寂れたローカル線に成り下がってしまったなあ・・・”という印象がかなり強かった。新幹線は確かに速くて短時間で目的地まで移動できる素晴らしい乗り物だが、その代わりに並行在来線は第三セクターに転換したりJRとして残っても、優等列車が走らなくなってしまいただのローカル線に成り下がってしまう・・・といううように失ったものも大きいと思った。
そんなことを考えて物思いにふけっていると車窓に陸奥湾の海が接近してきて思わずカメラにおさめた。やがて蟹田に着いた。
蟹田を出ると次は中小国にとまる。この駅は何にもない小さな無人駅だが、かつて北海道旅行の際に利用した周遊きっぷ、北海道ゾーンの出入り口駅として乗り鉄的にはよく知られた駅である。周遊きっぷの行き帰り券の券面にも「名古屋市内→中小国、中小国→名古屋市内」と表示された切符(2004年6月旅行)も現在でもアルバムに記念として保存している。
中小国を出てしばらく走ると、旧海峡線の線路がわかれていく。実際はこの旧海峡線がわかれるあたりからが僕の津軽線の乗り残しているいわゆる”初乗り区間”である。列車は山深い場所に入っていく。沿線にはまだ雪が残っていた。そういえば今年は暖冬だったせいか、3月下旬北東北に来てもまったく雪が残っておらず、少々拍子抜けだったがここにきて残雪を見れて少しうれしかった。
あたりは枯れ木ばかりだった。つい2か月前の真冬ならばこのあたりは雪で覆われていただろう。逆に1か月後なら枯れ木が緑一色になるのだろう。今の時期は季節の変わり目。こうした枯れ木ばかりを見ながら乗るのもいいなと思った。新幹線の奥津軽いまべつ駅と併設する津軽二股に停車した。時刻表を見ると新幹線から乗り継ぎ時間が1時間なので、乗り継いでくる同業者がいるかなと思ったが誰も乗ってこなかった。
列車は終着駅の三厩へ向けてさらに進んでいく。相変わらずののんびり走行。再び陸奥湾が右手に見えてきた。ここが津軽線のラストスパート。14時50分。青森から1時間半かけて終着、三厩にたどり着いた。これで五能線に続いて津軽線も制覇。安堵な気持ちになった。
例によって終着駅に来たら乗り鉄がすることと言えば、駅舎、駅名標はもちろん、車止めから列車を撮る・・・これらの行為をすることはもはや”儀式”として身についている。
駅前から竜飛崎へ向かうバスもちょうどいい時間に接続している。本音は竜飛崎へも行きたいがこの時間から行ってしまうと帰りの列車がない。なので行きたい気持ちをここは抑えて潔く諦める。折り返しの列車338Dの発車は15時36分。まだ45分あるので駅から少し歩いてみた。それにしても今回の旅は天候に恵まれた。関東では季節外れの大雪というから日本の気候はわからないものだ。この時期なら本来は北東北が大雪でもおかしくないのに(笑)・・・
海沿いまで歩いていると、3人ほど大き目のリュックを背負う若者の旅人とすれちがった。彼らはひとつ前の列車に乗ってきて竜飛崎まで行ってきたのだろうか。5分ほど歩くと海岸に出た。この日の快晴で北海道の渡島半島が綺麗に見えて爽快な気分になった。ただし依然として天気は絶好だが、空気は冷たく”北国”を感じさせる。
数分海を眺めていた。、現実を忘れられるから旅はいい、と何回も書いているが本当に偽りない気持ちだ。そして再び三厩駅へと引き返した。発車まであと15分ほどか。先ほどの若者3人はすでに列車の中に居た。彼らもやはり同業者だろう。雰囲気でたいていわかる。コロナ騒動のなかでも今は18きっぷシーズン。それでも普段より同業者の旅人は少ない。15時36分、折り返しの列車338Dとなり蟹田行きはゆっくりと発車した。今度は前部の車両に乗る。川部から青森まで乗ったのと同じ車両、キハ48 1550である。
往路は蟹田止まりなので、蟹田から青森行きに乗り継ぐ。蟹田までは40分。この日は地元、中京競馬場で史上初の無観客G1となる「高松宮記念」が行われる。ちょうど発車時間だったのでそちらも気になってきた。16時16分、蟹田着。橋を渡って待っている普通列車347Mに乗り換える。今度は701系の2両編成の電車。
9分の連絡で16時25分に347M青森行き発車。これから往路もまたわずか27キロの青森までの距離を50分かけてゆっくりゆっくりと一駅ずつ停車していく。行きにも感じたがまたも路面電車に乗ってる感覚。僕は最前部のロングシートに座った。乗り鉄がやはり先頭車両で前面展望する”習性”がある。これはもう理屈では説明できない”職業病”とも言えるか。。。ただ地元の乗客には不審者のように映っているかもだけど、いちいちそんな事気にして居られない、好きなモノは好き、だから自然に列車に乗るとお決まりの前面展望をしてしまう(笑)。この日は見事な晴天なので、前方に雪をかぶった八甲田山が見事に姿を見せてくれている。これは行きと同じキハ40だと座っての八甲田山の姿を堪能することは無理だったろう。
17時13分、347Mは青森に着いた。4時間ぶりに再び青森に戻ってきた。今日宿泊する「青森センターホテル」は18時チェックイン予定だったが、昨日の時点で19時のチェックインに変更する旨の電話を入れていた。予定ではチェックイン前に観光物産館アスパムの展望台で景色を眺め、ベイエリアを散策(ベイブリッジ、青函連絡船八甲田丸を見る)し、ホテルにチェックインすると計画していた。なので余裕を持って1時間遅らせてもらった。
青森駅を出ると、昼間より空気が冷たい。それにしても休日だというのに人がほとんど歩いていない。なんとも異様な光景だった。コロナ騒動の影響はすさまじい。7~8分春いてアスパムに着いた。実は先述した26年前の旅でアスパムに立ち寄る予定だった。しかし、青森は吹雪で行けなかった。なので26年越しの訪問がかなったことになる。
青森を象徴する三角形の建物が「青森史観光物産館アスパム」。入館して受付で「展望台に行きたい」と伝えると女性スタッフが「奥のエレベーターをご利用下さい」との事。エレベーターで一気に13階の展望台に上る。受付の女性に「障がい者手帳を持っているのですけど」と伝え、手帳を見せる。手帳所持者は無料だということは昨日の秋田空港リムジンバス乗車時と同様、事前にネット調べで確認していた。
アスパム展望台からの青森市街。青森港から陸奥湾、遠くに下北半島、八甲田山の姿、感動した。本当に天気が良くて得した。
20分ほど展望台でお茶を飲んでくつろいだ。そろそろ時間となり再びエレベーターで展望台を後にし、1階の土産物コーナーで土産「リンゴサブレ」を購入。この時閉店18時直前だった。それにしてもほんとに人がいない。このご時世、一人旅を楽しむ孤独中年の僕はいかに異端者だか(笑)。いや、逆に考えるとこのご時世だから、人がいないなか一人旅ができるので、お一人様ぼっち中年孤男の自分には好都合だ。、というプラスの発想もできる。
アスパムを出てベイエリアを散策。人っけのない夕暮れのベイブリッジ、八甲田丸を撮る。このあたりは飲食店を立ち並ぶA-factoryというスポットらしいが、飲食店内にはお客さんがほとんどいない。静寂さを感じざるを得ない夕暮れだ。10代の高校生ぐらいのティーンエージャーがスケボーをしていた。
そうこうしているうちに、時間は18時半ごろ。そろそろホテルに向かうか、ということで駅構内の売店でお昼同様、弁当と缶チューハイを購入しホテルの部屋で夕食とすることにした。
18時35分頃、本日の宿泊先「青森センターホテル」にチェックイン。このホテルには「まちなか温泉」というよく北海道へ行く旅行者が夜行列車に乗る前にひと風呂浴びるのに利用されていたことで僕もよく知っていた。
入り口が裏口にあり、少しわかりにくかった。フロントは2階にあった。若いフロントマンが温泉施設の利用方法を説明してくれた。コロナウイルス感染拡大のなか温泉施設の利用はどうなるか不安だったが、特に何も問題なく入浴できるようだった。宿泊客用のキーで専用扉を開けて温泉への連絡通路を通り温泉に向かうとのこと。部屋にはユニットバスももちろんあったけど、温泉に入れるならもちろん入らなければ損だ。宿泊料3700円に温泉入浴量も含まれているのだから・・・
そうしてひと風呂浴びて部屋に戻ろうとしたが、行きに通った客室との連絡通路がどこかわからない。ウロウロして階段を降りようとすると年輩のおばさんに不審がられた。とっさに僕は焦って事情を説明したら連絡通路を教えてもらえた。ホッとした。こうして2日目、無事に終えることができたのだった。
2日目に宿泊した「まちなか温泉青森センターホテル」
2日目、終わり。